目次−2006年02月−

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■ブルトラasuka大審問
●第一章 ―世界のはじまり―
●第二章 ―危険な証人達―
●第三章 ―破局―
●第四章 ―世界のおわり―


■ブルトラasuka大審問




生きてはいても、わたしは人生を知らなかったんです




いやはや、世界の小説家たちときたら、困ったものだ!なにか有益な、気持ちのいい、心を楽しませるようなものを書くどころか、ただもう地下室の秘密を洗いざらいほじくりだすばかりではないか!・・・・・・いや、いっそのこと、あの連中がものを書くのを禁じればいいのだ!まったく、ひどいものだ。読みだすと・・・・・・ついなんとなく考え込んでしまって―――あげくの果てに、ありとあらゆる妄想がわいてくる。いや、なんとしても、あの連中がものを書くのを禁じるべきだ。なにがなんでも、きれいさっぱり禁じてしまうべきだ。

V・F・オドエフスキー公爵

2006.2.6



●第一章 ―世界のはじまり―
彼が目を覚ましたのは、他でもない、裁判長が審理に入る旨を宣言したからであった。被告を連れてくるよう廷吏が命じられたのである。彼は何のことだかさっぱり理解出来ない様子であったが、「してみると俺は今まで目を閉じていたのだな。」次の瞬間こう思ったのである。これがこの世界で彼に初めて生じた意識であった。



続いて彼は、自分の右側の腕を何者かの左、おそらくは左腕と組んでいる、いや、それよりかは無理やりに組まさせられているのではないかという意識が芽生えたのだが、それよりかは数ミリも離れていない自分の隣に人の存在があったことに驚いた。そして彼は次の段階になって初めて、それまでの自分の記憶を辿ることが出来ないことに気がついたのだった。



「どうやら男だな。」彼はこう隣の人物について推測したが、この推測は正しかった。男は彼の腕をひっぱると、前方およそ10メートル先に視界をとらえることができる開けっぴろげのドアに向かって歩き出した。「ここはこの男に従った方が賢明だな。」彼の頭にふとこのような意識が浮かび上がったので、逆らうこともなく前方の光に向かって男と一緒に歩き出した。



僅か10メートルの通路を歩いているうちに、彼に二つの疑問が浮かんだ。一つ目はまず『一体ここは何処なのか』という疑問だった。しかしこの疑問はこの先数分もしないうちに解き明かされることになる。この疑問と同時にもう一つ浮かんだ奇怪な疑問、こちらの方が彼の意識を集中させた。それはまぎれもなく彼を呼び覚ました男の(と、彼は推測した。それもかなり年配の男の声だと推測した。)声だった。それまで意識がなかったのでそのことについて思慮深く考えはしなかった(というよりは、軽い朦朧状態だったので考えることすらできなかったのである。)が、思考能力が回復し、その老人の声の記憶を辿ったとき、彼は完全に意識を取り戻したのだった。



「これより、ブルトラ asuka、B型及び連日連夜ぶっつづけの酩酊状態により引き起こした良心の消失に関する裁判を行う。」そう老人は言ったのだ、と彼の記憶には刻まれていたのであるが、これも正しかった。「いったい何で、俺が、何の罪だって?」彼は疑心暗鬼しながら隣の男を見たが、男はまっすぐ正面を見つめたまま、きわめて落ち着いた態度で寸分違わぬ歩調で歩き続けていた。



「してみると、これから俺はその、例の・・・B型と連日の酩酊によって裁かれるわけか?しかしいったいなぜ?馬鹿げている。B型とは?どうしてそんなことが、酒にしてもそうだ、俺はとくに間違ったことは・・・」そう自問するのであったが、自答までいかずして彼の視界には今までに見たこともないまがまがしい光景が映し出された。



目の前には裁判官の座るテーブルがあり、その後ろには男性のうち特に地位の高い人が知名な人たちの傍聴席が設けられており、さまざまな名士たちの座る肘掛椅子がずらりと一列に並んでいた。はじめのうち彼はその目を疑ったがこれは無理もなかった。実際の話、この世界のこの町の人々は傍聴券を懇望や泣き落としにかかって手にいれたほどだった。また、各地から馳(は)せ参じた法律家たちだけでも、たいへんな数にのぼったため、どこへ収容すればよいのか、それさえ分からぬほどだった。


廷内は異様なほど威圧感のある、ほとんど不気味なばかりの印象を与え、きびしく、険しいものだった。何を理解できるわけでもなく密集した群れの前に突き出された彼は、自分のために用意された椅子にただただなすがままに腰を下ろすのであった。



じきに彼に対する裁判長の最初の質問、つまり姓名、身分等に関する質問が始まった。彼はうす暗い通路を歩いて入廷する前に、この場所で必ず今のこの現状を理解できる、疑問の全てを解決させる、何かがあると期待していた。実際にはそういうものがなければならないとさえ思っていたほどである。ところが彼が理解できたものといえば、彼に対する裁判が始まってしまった、ということだけであった。



哀れ、質問の権利を剥奪されてしまった彼は、聞かれたことに対して真面目に答えたのである。「馬鹿な、なぜこんな馬鹿げたことが起きているのだ。こいつらを一蹴してやらにゃならんのに、俺はいったい、くそっ、なぜこんな馬鹿げた質問に真面目に答えてしまったのだ。」彼はそう思うと裁判長を憤怒(ふんぬ)の形相で睨みつけた。裁判長はこの突飛な行為にビクリと首をふるわせた。これはもう彼に絶望的な印象を与えたのだった。つまり、今起きていることがもしもなんらかの形で仕組まれたものであったなら、多少なりとも彼には幸せだったのに違いなかったのだが、裁判長のこの嘘偽りのない、彼のことを危険な人物と見定めてしまった動作は、今ここで起きていることが現実であることを決定づけたのであった。



絶望に瀕しながらもこの裁判が進んでいくのを認めきれずに、彼はさきほどの、今起きていることが夢の中でも何でもなく現実だということに耐えかねて出し抜けに立ち上がって叫んだ。「馬鹿げている!おかしいぞ!いったい僕が何をしたというのです!」弁護士が彼のところにとんで行き、もしもう一度この種の言動が繰り返すなら、厳重な措置を講ずると彼に警告した。そして、当然のことながら、この短いエピソードは陪審員や傍聴人の判断の中で彼に不利な働きをした。


2006.2.9



●第二章 ―危険な証人達―
裁判所書記により起訴状が朗読され、彼はその内容を一言一句聞き逃すまいとして全神経を集中させた。内容そのものはB型であり毎夜繰り返される深酒が原因で良心を失ったというものであった。朗読が終わるとすぐ、裁判長が胸にこたえるような大声で彼に質問をした。「被告は自己を有罪と認めますか?」



彼はふいに席から立ち上がった。「深酒と放蕩の罪は認めます。」またしてもなにやらとっぴな、ほとんど気違いじみた声で彼は叫んだ。「怠惰と狼藉の罪も認めます。しかし、良心を、命あるものをいたわる心を失ったということに関しては、とんでもない、無実です!」こう叫び終わると、彼は傍目にもわかるほど全身をふるわせながら席に座った。



裁判長は再び気違いじみた絶叫は慎むように、短いが噛んで含めるような注意を与えた。それから、審理にとりかかるよう命じた。宣誓のために全証人が中に入れられた。この証人達は彼がこれまでに飲み屋で顔を合わせたり親しく話したりしているものだったのだが、その他の情報、つまり名前や住まいや職業などの情報は記憶から失われていた。ついで証人が一人ずつ喚問されることになった。



この恐ろしい法廷でさまざな事実が濃厚さを増しながら集まりはじめ、いっさいの恐怖と血潮とがしだいに表面に浮き上がってきた最初の瞬間に、彼はそのことを理解していた。これはまるきり争う余地のない事件であり、ここには何の疑点もないのだから、弁護人はいたものの、実際にはそんなものは全く必要なさそうなものだが、単に形式上弁論を行うだけであり、被告は有罪なのだ、それも明白に決定的に有罪なのだ、ということが定義されていることを彼は知っていた。



「この情知らずの恩知らず!」ついに一人目の証人が喚問された出し抜けにこう叫んだのだった。この証人は彼が幼少時代に通った駄菓子屋の老婆であった。「この男は!この男は!裁判官さま!」興奮冷め止まぬといった具合で彼女は続けた。「いえ、なに、この男が私の店に通うものですから、私はまだ金銭的に不自由なこの男を哀れに思い駄菓子を何度か恵んでやったことがあるんですよ!ところがです!ところがですよ!この恥知らずはあたしが駄菓子を恵んでやったのにも関わらず、こともあろうにあたしの目を盗んでは駄菓子を盗みやがってたんですよ!こいつには良心というものがありません!今すぐ絞首刑に、断頭台へ向かわせておくんな下さいまし!」



法廷内に陰惨な印象が流れた。彼の身体中を煮えたぎるような怒りと微かな恥じらいが混ざり合い全身を駆け巡った。彼は自分でも抑えきれないほど全身をガクガクと震わせ、正面を向いているといったそぶりで横目で弁護人をちらりと見やったが、弁護人は愚鈍な流し目をくれてやるだけだった。



彼は弁明しなければならない、自分が何かを発する番だと悟ったが、言葉につまっている様子であった。この執拗に責め立てられる中で彼の神経は既に限界の域に達していたが、これを救ったのは他でもない、次の証言者だった。「彼は・・・彼の酒盛りは・・・確かに異常でした。常人の域をとうに超えていました。」二番目の証言者はいきつけの居酒屋にいる、やはり彼と同じくしての古狸だった。この証言に対して検事がどのような点で常人ではないのかと問いただした。「私の見る限り・・・彼は、その・・・平日にも関わらずに毎回焼酎のボトルを一本空けてしまうのです。」「焼酎のボトルを!?平日にも関わらずに一本ですって!?して、それは720mlと考えて正しいのでしょうな?」検事がすかさず口を入れてさえぎったが、これは周囲の者達に強くその罪の重さを知らしめるためのものであった。「はい・・・私がいいたいのは・・・それが毎回であるここと・・・その・・・」「遠慮なく言って下さい!真実を!これは裁判ですから!ここは法廷です!細大もらさず真実を!」検事がまた口をはさんだ。「はい・・酷いときにはもう一本追加して、それでも帰ろうとせずにボトルのふたを、キュルキュまわしてまた飲み始めるんです。さらに・・・さらに、わたしは、誓って真実ですが、さらに彼は二件目にはしごしたのをこの目で見ました。」「ええ!?なんですと!?一本では飽き足らず二本目に手をだし、さらに二件目にですって!?狂ってる!裁判長今すぐ!今すぐ死刑の判決を!彼に情状酌量の余地はありません!ケダモノの心の持ち主です!このまま野放しにしておいてはなりません!なりませぬぞ!」興奮全快で検事が叫んだ。



「酩酊、バカ騒ぎと喧騒の罪は認めます!放埓ぶりの狂気の失踪の罪も認めます! 祖暴で野放図な罪も認めます! しかし!しかしどうして!僕は周囲には迷惑を、いや、かけてはいても、それは皆と同じ程度の、許される範囲での迷惑です!良心は!良心はどうして!良心は誓って消失してはいません!」悲鳴にも似た叫び声で大きな不幸を参酌しながら彼はこう叫んだ。有罪の反駁しがたさがますます悲劇的に強まっていくのを誰しもが感じていた。「どうして僕ばかりが、どうしてこんなにも煮え湯を飲まされるのです!」彼は続けた。



「いささかの良心の呵責も感じないブタ男ですよ。」ふい第三の証言者が毒を吐いた。「皆さん知ってますか!?彼はね、そう、こともあろうに彼は飯食い処でもで重大な罪を犯しているのですよ。ええ、いいですか皆さん、この男は、回転寿司には行っては隣の客が帰るのを見計らって、自分の、いいですか!?自分のですよ?その自分が食べた皿を隣の客が清算を済ませたのをいいことに、皿を重ねているんですよ。自分は小食とばかり顎を三重にもくびらせられるほど腹に押し込んだにも関わらず、べんべんとした太鼓腹を抱え、赤鼻をにゅっと突き出してはたいそう御満悦といった様子でご帰宅ですよ。こんな男が生きてて言い訳がありましょうか!?下らない、証言するのもばからしい。」こう吐き棄てると軽蔑の眼差しを一直線に彼へ向けたのであった。このときに既にシニカルで怠惰な無為を揺さぶってくれる強烈な異常な感覚に彼は襲われていた。



2006.2.16



●第三章 ―破局―
「真冬の寒い日に、女の子を一晩じゅう便所に閉じ込めたんだよ。それもその女の子が夜中にうんちを知らせなかったというだけの理由でね(まるで、天使のようなすこやかな眠りに沈んでいる五つの子供が、うんちを教える習慣をすっかり身につけているとでも言わんばかりにさ)、その罰に顔じゅうに漏らしたうんこをなすりつけたり、うんこを食べさせたりするんだ、それも母親がだぜ、実の母親がそんなことをさせるんだよ!しかもこの母親は、便所に閉じ込められたかわいそうな子供の呻き声が夜中にきこえてくるというのに、ぬくぬくと寝ているんだからな!あなたにはこれがわかるかい。一方じゃ、自分がどんな目に会わされているのか、まだ意味さえ理解できぬ子供が、真っ暗な寒い便所の中で、悲しみに張り裂けそうな胸をちっぽけな拳でたたき、血をしぼるような涙を恨みもなしにおとなしく流しながら、《神さま》に守ってくださいと泣いて頼んでいるというのにさ。さて、あなたはこの話を聞いてどう思います?」ふいに検事が敵意にみちた暗い笑いをうかべてこう尋ねた。



「ちょっと待って下さい。何だって、なんだって今ここでそんな話をするんです?しかも、貴方はそれをまるで僕がしたかのように勘違いをしてませんか?ええ?何を・・・」驚愕の痙攣が彼の心を走りぬけた。「『何を』って、あなたが酒飲みのB型だからじゃないですか。しかしもう結構です。いささかの良心の呵責も感じない人ですね。今よく分かりましたよ。『たとえ全世界が火事で燃えようと、俺さえ楽しけりゃいい。』と言った類の男です。暗い頽廃(たいはい)的な世界観を持った危険な男です。」ひどくいぶかしげな顔をして検事がつっぱなした。



「何を根拠にそんなことが言えるんですか!」彼の中で消えかけていた怒りが、突然、異常な力で心の中に燃えあがった。「自分の弁明を一番にもってきたことで全てに決着がついたということですよ。」ほとんどヒステリックなほどの貪欲な好奇心を見せて検事が口走り、途端にそれまでの余裕のある威厳をなくした。



『僕はこれまでの一生を通じて毎日、この胸を打っては、真人間になることを誓いながら、毎日相変わらず卑劣な行いをやってきました。今こそわかりました、僕のような人間には打撃が、運命の一撃が必要なのです、縄でひっくくって、外的な力でしめあげなければいけないんです。僕は自分ひとりでは絶対に、決して立ち直れなかったに違いない!しかし、ついに雷鳴がとどろいたのです。僕はこの告発と、世間全体に対する恥辱との苦しみを甘んじて受け、苦しみたいと思う。苦悩によって汚れを落とします!』突如彼の中にこのような心情が芽生え、この文言を叩きつけてやれば減刑の余地があるのではないかと思いついた、しかしどうして、憤懣(ふんまん)やるかたない結核の彼としては、せめて一生に一度くらい、思い切り自説をぶちまけたくなったのである。



「あなた方がどうして僕をそこまで消そうとしているか分かりませんし、知る由もありません。僕という人間が虫眼鏡で見なきゃよく分からないような存在であることは自分でも承知しています。今僕がこの場にいるということは、おそらく友達も家族もいませんから僕が消滅したって誰も困りません。誰も悲しまないでしょう。それはよく分かります。でも僕は元いた世界にそれなりに満足もしていたんです。どうしてかは分かりません。でも僕は元の世界に戻りたいんです。世の中に存在する数多くのものを嫌い、そちらの方でも僕を嫌っているみたいだけれども、中には気にいってるものあるんです。向こうが僕のことを気に入っているかどうかには関係なくです。僕はそういう風にして生きていたいんです。ここで一方的に処理されたくはありませんし、される筋合いもありません。途中で事故に遭うかもしれませんが、基本的なベースとしては寿命で自分の命をまっとうしたいんです。年をとっていくのはつらいかもしれませんが僕だけがとるわけじゃない。みんな同じように年をとっていくんです。世界中の誰からも庇護を期待出来なくなったとしてもここで裁かれたくはありません。」



彼は大声でずけりと言ってのけた。今この瞬間の彼には、何か冷酷な侮蔑的な一言でも、ナイフの一撃にひとしかったに違いない。このうえなく傲慢な心でさえ苦痛とともに自己の傲慢さを粉砕し、悲しみに打ち負かされて倒れるほどの、耐え切れぬ苦悩にとらえられていることを感じた。法廷内はしばらくの間深い沈黙に包まれた。



しかし検事は己のプライドにかけて彼の告白を黒く塗りつぶした。「自分以外のだれをも愛さずに不思議なほど高く自分を評価している残忍で炯眼(けいがん)な人間です。支払うのはひどくきらいな代わりに、もらうのは大好きときているような人間です。親にもらった金ですら、遊興に費やしてしまうような放埓ぶりの狂気の疾走を自ら押しとどめられるような人間です。」彼の刺し貫かれた心がはげしく痛み、憤りはその極に達し、耳まで芍薬(しゃくやく)のように真っ赤になった。やり場のない悲しみと絶望との深淵に彼は頭をうなだれた。そしてとどめの一撃が放たれた。



「もう誰も君のことなんか放り出して、見向きもしようとしない。なぜって、もう君は一文にもならないんだもの。それどころか、なかなかくたばろうとしないで、むだに場所を塞いでいやがるといったところだ。いよいよ死んでしまったって、赤の他人が寄り集まって、ぶつくさ文句を言いながら、さもじれったそうに、さっさと片付けにかかる寸法さ。誰も君を祝福するものなんていない、溜息ひとつついてくれるものもいない、ただもう早いところ厄介払いをしたいという気持ちだけだ。安物の棺桶を買ってきて、居酒屋へ供養しに行くのさ。墓場はじとじとしてて、ぬかるみで、ぼた雪が降っている。君なんかのためにお天気が遠慮するわけもないだろう。棺桶は逆さに落とされて終りさ。『直せよ、これだって人間だったんだからな。』そう言ってくれる人すらいない。これで一巻の終り、君のことを覚えてる者はこの世に一人もいなくなってしまう寸法さ。ほかの墓には、子供や、父親や、妻たちが訪ねてもくるだろうけれど、君は涙にも、供養にも縁がなくて、この世界で誰一人訪ねてくれることがないのさ。まるで、君なんかもともとこの世界にいなかった、いや、生まれ合わせなかったみたいにね。あたりは泥と沼ばかり、まあ、毎夜、死人が置きだす時刻に、棺の蓋でもとんとん叩いて、せいぜい独り言でも言うんだな。『みなさん、どうかここから出して下さいな、ちょっとの間でもいいから、人間らしい暮らしをさせて下さいな。生きてはいても、わたしは人生を知らなかったんです。わたしの人生はぼろ雑巾みたいにされちまって、居酒屋で、酒と一緒に飲まれちまったんですよ。どうか、みなさん、もう一度わたしに世のなかでいい目をみせさせて下さいな。』とね。」検事はばか丸出しの騒ぎ立てを見せてしかつめらしく相手を睨(ね)まわした。



いよいよ陪審員が協議をするため、席を立った



2006.2.23



●第四章 ―世界のおわり―
鈴が鳴った。陪審員の協議はきっかり一時間だった。傍聴人がふたたび席についたい途端に、深い沈黙が君臨した。一番若い管使が廷内の死の様な静寂の中で、大声ではっきりと言い切った。「はい、有罪であります!」情状酌量もなかった。有罪を望んでいた者も、無罪を望んでいた者も、誰もが石と化した。彼は法廷から連れ出された。



―ピローグ―
『ここは貴方が創った世界なのよ。』

「何となく分かってたよ。」



「これからどこに向かえばいいんだろう?」

『決まってるはずよ。』

「僕が創った世界だからかい?」

『そうよ。』

「人々の心はどこにいくの?」

『それは貴方がこれから確かめに行くのよ。』



「君はどうするの?」

『貴方がここにいる限り、私もここにいるの。』

「僕が創った世界だから?」

『私が決めたのよ。』



『でも貴方がこれから行く世界に私も連れていくことができたらどんなに素敵だろうって思っているのよ。』

「この世界を捨てて?」

『ええ、そうよ。 』



「たいした人生じゃないんだろうけどね。」

『でも法廷では自分の人生に満足してるって言ってたわよ。』

「言葉のあやだよ。」



「もとどおりの僕自身というものが思い出せないんだ。

果たしてそれは帰るだけの価値のある世界で、戻るだけの価値のある僕自身なんだろうか。

でもきっと悩んだり苦しんだりしながら年老いて、そこで死んでいく、

心にふりまわされたりひきずられながら生きていく、僕にはそういう世界の方があっているんだろうか。」



「君とさよならするのは辛いな。」

『心がそこにあれば、どこに行っても失うものは何もないのよ。』

「ありがとう。」と僕は言った。

「さよなら」と顔のない女が言った。

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2006.2.27



●後書き
この小説は以下のものから文中多々言葉を引用した。
『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』 村上春樹
『カラマーゾフの兄弟』 ドストエフスキー
『地下室の手記』 ドストエフスキー

解説をすることで嘘になることを避けるため、敢えてしないことで完結とする。